これまでのあゆみ


【設立の経緯】


2010年3月10日、衆議院第1議員会館にて国会議員議員秘書と、立法化に向けての懇親会がなされました。

同年8月14日には、全国の各空襲被害都市からの代表者・被害者ら300名が台東区民会館に集い、日本の「戦後補償」のゆがみの象徴である空襲被害の国による放置を告発し、団体・個人で連帯の輪を広げ立法化運動をと、新たな第一歩を踏み出しました。

当会では、空襲被害者の人間回復ための「差別なき戦後補償」を求めて、立法化運動を進めて参ります。

【空襲被害者運動の48年】

(文中敬称略)

全傷連が発足

1972(昭和47)年 
名古屋空襲で左目失明などの重傷を負った杉山千佐子(57)が10月、名古屋空襲を記録する会の中に傷害者組織「全国戦災傷害者連絡会」(全傷連)を結成、戦災死傷者の援護立法運動を始める。

1973(昭和48)年 
6月、社会党が須原昭二参院議員(愛知選出)を中心に「戦時災害援護法」案を提出、審議未了で廃案に。
9月、全傷連が記録する会から独立。運動は全国に広がり、各地に支部が誕生、会員は800人近くに達する。

1974(昭和49)年 

初の全国大会を8月、名古屋市で開き、政府に戦災死傷者の調査と戦時災害援護法の制定を求める決議。

三木首相が「民間人は国と雇用関係がなかった」

1975年(昭和50)年 

 2月、三木武夫首相は参院本会議で「民間戦災傷害者は国との雇用関係がないから法律で救済する気はない。社会保障で」と答弁。
11月、護憲全国大会で戦時災害援護法制定に向けた100 万人署名運動を決議。日本弁護士連合会は名古屋で開いた人権擁護大会で、「民間戦災死傷者に対する援護法制定に関する決議」を採択する。

1976年(昭和51)年 

社会党の片山甚市参院議員(大阪選出)が戦時災害援護法案を提出するも審議未了で廃案に。法案は5回目からは公明、共産、民社、第二院クラブなども共同提案したが、翌77年から63(平成元)年まで14回廃案となった。

1979年(昭和54)年
愛知県津島、岡崎、稲沢市が戦傷市民に見舞金。愛知県と名古屋市は全傷連に賛助金を2013年まで支給。

最高裁が「国民は被害を受忍せよ」

1980年(昭和55)年
全傷連会員が起こした名古屋空襲訴訟で、名古屋地裁は「民間戦傷者援護は立法府の裁量の範囲」と判決。

1981年(昭和56)年
4月、杉山が国会(参院社労委)で証言。
8月、杉山、原水禁長崎大会に招かれる。

1982年(昭和57)年
8月、広島の原水禁世界大会で、杉山が被爆者代表の森滝市郎氏と「対立を辞め協力」と“和解”の握手する。

1987年(昭和58)年
名古屋空襲訴訟で最高裁は「戦争被害は国民が等しく受忍すべきもの」として上告を棄却する。

1989(平成元)年
杉山がテレビ局と西ドイツの民間戦傷者の援護状況を調査、彼我の差に驚く。

1993年(平成5)年
杉山に名古屋弁護士会から「人権賞」。翌年、長崎被爆者手帳の会の「友の会平和賞」を受ける。

小泉首相が「戦後処理は終わった」

2003年(平成15)年
大脇雅子参院議員(社民、愛知)の質問主意書に小泉純一郎首相、「戦後処理は1984年までに終わった」。

名古屋市が援護見舞金 

2010(平成22)年
杉山、全国空襲連の顧問に。名古屋市が戦傷者に援護見舞金(年額26,000円)支給開始。 

2013(平成25)年
9月、「全傷連活動報告会」(総会としては発足から通算40回目)で、全傷連として独自の運動を終える。

2014(平成26)年
11月、全傷連と名古屋市で「民間戦災傷害者の碑」を公園(被災した陸軍造兵廠跡)に建立する。

2015(平成27)年 
杉山100歳、老人施設へ。翌年の誕生日に永眠。最期の言葉は「もういい。棄てられたままで…」。 

全国空襲連の10年

2010(平成22)年
8月、全国空襲被害者連絡協議会(略称・全国空襲連)結成集会を台東区民会館で開き、早乙女勝元、中山武敏、荒井信一、前田哲男、斎藤貴男を共同代表に選出する。
11月、「全国空襲連」会報を創刊する。

2011年(平成23)年
8月、第1回総会と1周年の集いを江戸東京博物館で開催する。

2012年(平成24)年
2月、空襲等被害の立法による救済の対話集会を衆議院第二議員会館で開催する。

2013(平成25)年
4月、「空襲被害者等援護法」(仮称)の実現推進本部を設置する。

2014(平成26)年
3月、空襲被害者等援護制度の確立をめざす院内集会を参議院議員会館で開催する。
9月、空襲被害者等援護法(仮称)の制定を求める署名と沖縄民間戦争被害者に対する特別補償法(仮称)を求める署名を衆参両院議長宛に持参する。(10月末現在28万5028筆)

2015(平成27)年
8月、超党派による空襲議員連盟が再発足したのを受けて、「時代は動いている-戦争被害のすべて解決を!」集会を台東区民会館で開催する(参加者250人)。
12月、「開戦の日」に衆議院第二議員会館前で要請行動の後、「空襲被害者の戦後70年」と題する記者会見と院内集会を衆議院第一議員会館で開催する。

2016(平成28)年
3月、「空襲等被害者に係る問題に関する特別措置法」要綱骨子案の早期実現を目指して衆議院第二議員会館で院内集会を開催する。
8月、「舞台は国会へ」集会を台東区民会館で開催する。
12月、衆議院第二議員会館で院内集会を開催する。

2017(平成29)年
3月、「いま動きはじめました」をスローガンとする院内集会を衆議院第二議員会館で開催する。
12月、衆議院第二議員会館で院内集会「元号が変わる前に「戦後」にけじめを!」を開催する。

2018(平成30)年
1月、日本弁護士連合会が国会に向け「空襲被害者救済法の早期制定を求める会長談話」を発表し、通常国会が開会したのを機に、緊急記者会見「元号が変わる前に「戦後」にけじめを!」を衆議院第二議員会館で開催する。
3月、「もう待てない ただちに空襲被害者救済を!」をスローガンとする院内集会を衆議院第二議員会館で開催し、「援護は元軍人軍属のみ 民間人は使い捨てか」というテーマで公開討論も行った。
11月、第6回総会を千住介護福祉専門学校で開催し、吉田由美子(空襲被害者)、宇都宮健児さんを共同代表に加える。
12月、「空襲被害者救済まで―わたしたちはあきらめない―」と題して杉山千佐子、清岡美知子、牛山鈴子、城森満、星野弘さんの5人の先達を偲ぶつどい院内集会を衆議院第二議員会館で開催する。

2019(令和元)年
1月、「銀座空襲の日」を前に有楽町マリオン前で宣伝活動を行う。
3月、「時代が変わる今こそ ただちに空襲被害者救済を!」をスローガンとする緊急院内集会を開催し、木戸衛一さんの基調講演「空襲被害者の尊厳とは何か―ドイツとの対比で―」と共に「民間空襲被害者に人権はないのか」というテーマで公開討論を行った。
4月、「こんにちは活動」を衆議院第二議員会館前で開始する(以後、国会会期中の毎週木曜日12:00~13:00)。
8月、首相官邸前で空襲等民間戦災障がい者が救済されていない現状を訴える。9月、超党派空襲議連議員への要請活動を行う(以後、断続的に継続する)。11月、第7回総会をすみだ女性センターで開催する。
12月、「なぜ民間空襲被害者は救われないのか―ただちに救済法の制定を!」12・6総決起集会の院内集会を衆議院第二議員会館で開催し、有光健さんの講演「日本の歴史的・政治的責務としての戦争被害者救済-なぜ日本の民間空襲被害者は救われないのか?」を聞く。

2020(令和2)年
1月、有楽町マリオン前で宣伝活動を行う。
2月、「南洋戦・フィリピン戦」被害・国家賠償訴訟で最高裁が上告棄却を決定する。「東京大空襲の日」を前に「日本に人権はあるのか なぜ民間空襲被害者を見捨てるのか」を問う第2弾2・21総決起集会の院内集会を衆議院第二議員会館で開催し、吉田裕さんの講演「戦争責任と国民-なぜ民間被害者は救われないのか」と共に「『民間人は雇ってなかったから援護しない』なんていう国があるか」と題する討論会を行う。
3月、超党派空襲議連総会で全国空襲連の立場と空襲被害者の思いを訴える。
6月、通常国会最終日に衆議院第二議員会館で戦争責任と戦後責任を認めようとしない政府への抗議を込めた「戦後75年 空襲被害者にまだ戦後はない」と題する記者会見を開催する。
8月、全国空襲連を含む4団体共催の「8/12残された戦後処理のすみやかな解決を求める共同記者会見」を衆議院第二議員会館でリモート参加も含めて開催した。また、14日には「空襲が変えた子どもの人生~体験者が語る戦争と戦後~」と題する若者向けのオンライン配信(Zoom)を初めて試みた。
10月にも空襲被害者の体験のオンライン配信を行った。

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